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「先生と迷い猫」

レンタルDVDで「先生と迷い猫」を観た。

イッセー尾形の演技がすごくいい。
いるんだよこういう人って・・という感じで、だけど哀愁もあって、クスッと笑えるところもある。

さりげなく、だが結構重いいろいろな問題を入れ込んで、余韻の残るいい映画だった。

この映画の女優猫は有名なようだ。
エンドロールに「ドロップ」と名前が出ている。

亡くなった妻(もたいまさこが演じている)が言うセリフ。

「猫が嫌いだなんて、人生の楽しみを、ひとつしらない」

公式サイトはこちら

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逝った仔たちが望むこと。

ファンを荼毘にした日に、待ち時間に霊園のご主人と話したこと。

蘭を荼毘にしたのは、早いもので15年前だ。
当時、こういう商売はこのペット霊園だけだったような気がする。
当時から夫婦二人だけで営業していた。
昔に比べれば、山を切り開いて、行くたびに広くなっていた。
蘭の時は、お経はテープだった。
それから、どの仔の時か忘れたが、ご主人が「私は僧侶ではありませんが、お経をあげさせてもらってもいいですか?」と断りを入れて、ご主人の声でお経をあげた。
ファンの時は、断りはなく、「お経をあげさせてもらいます」だった。
在宅僧侶の資格でも取得したのだろうか?と思ったが、あえて聞かなかった。
亡くなった仔の手足の型を色紙に取ってくれることは、昔から変わらない。
昔から変わらないシンプルな方法での荼毘までの一連の流れだが、変わったところはそのお経の方法ぐらいだ。

このところのペットブームで、ペット霊園がずいぶんと増えていた。
お坊さんの読経もオプションではなく普通についてくるところも多くなった。
そういう時代になったのだろう。


ところが霊園もいろいろで、ペットを亡くした飼い主に、方角を示してこういうものを置けば亡くなった仔の供養になるとか言い出して、物を売りつけるペット霊園があるというのだ。
あるいは、こういうものを持ってることが、お宅のペットは望んでいるとか言い出すらしい。
壺なのか、お札なのかよく知らないが、その金額が10万もするという。
「そんなところは、いずれ潰れるね」と言ったら、「もう、潰れかかっている」と言っていた。(笑)
亡くなった仔は飼い主にそういうものは求めていない。
少なくともうちの仔たちは求めていない。
冷静に考えればわかることなのだが、ペットを亡くしたばかりの飼い主の心理状態は、そういう霊感商法に案外ひっかかってしまうらしいのだ。
私がそういうものを購入したら、うちの逝った猫たちは、「何考えているの?ボケたの?」とか言って、怒るだろう。

一緒に暮らした楽しい思い出とともに、自分を忘れないでいてくれることが、亡くなったペットが望んでいることではないだろうか?
とご主人は言っていたが、私もそう思う。




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分骨を諦めた理由。

ファンが亡くなって、1ヶ月が過ぎた。
つい先日のような気がしているが、月日はあっという間に流れる。

ペット霊園で、共同墓地に納めた猫たちのお骨を分骨しようと思ったのだが、霊園のご主人に「あまり勧めない」と言われた。
そのペット霊園にも、一応分骨用のピルケースのような小さなキーホルダーのようなものは置いてあった。
言われて初めてそういうケースが置いてあることに気がついたのだけれど。
分骨してそれを持ち帰った人たちが、結構無くしたり落としたりするらしい。
その落ち込みがハンパなくひどいらしい。
他のお骨は共同墓地の中にあり、今更どうすることもできないという状態の人を見てきているので、できればやめた方がいいというのである。
人はいつか年を取る。
そういうものを残して、例えば持ち主に何かあったときに、残された人がその処分に困るという人もいるらしい。

どうしても分骨したいというのであれば、しっぽの骨がいいというのである。
しっぽの骨なら、なぐさめようがある。
例えば、ボクサー犬のように、生まれてすぐ断尾手術するということがあるから、それを例に挙げて落ち込ませないようにすると言っていた。
だから、うちの猫たちの骨も、どうしても分骨したいというのであれば、しっぽの骨にした方がいいと言うのだ。
しっぽの骨は、今更捜せないでしょ?と聞いたら、捜せると言い切った。
しっぽの骨は足の骨と似ているが特徴があるのだそうだ。
荼毘が終わってファンの骨で説明してくれたが、普通の人は区別をつけられないと思う。
猫の骨だから小さいが、骨壺を開けて全ての骨を出してその中からしっぽの骨を捜すしだす自信が,ペット霊園のご主人にはあるのだ。
それならばそうすると言った。
その用意をしてくれた時に、私はやはり分骨はしないと言った。
霊園の奥さんが、私の優柔不断さに、呆れて笑った。

結局、逝った猫たちの骨を分骨しても、ソフィアの骨はない。
とうとう帰ってこなかったソフィアは、今年20歳だ。
死んだとは思いたくないという気持ちが私を支配していたが、もう諦めるしかないという現実。
ソフィアの骨がなければ、それは不公平・・・と思ったのだ。
だから分骨はやめた。

しかし、私には逝ったすべての猫たちの毛を持っている。
少しだけ毛をハサミで切って、小さなビニールの袋に入れてある。
泣きながらハサミを入れた、いとしい私の猫たちの毛。
ソフィアの毛もある。
ソフィアがいなくなって、ソフィア専用のペットベットから、ソフィアの毛をかき集めたのである。
それらは私のお守りとして、財布の中に入れてある。
現金は入ってなくても、まるで大金を持ち歩いているように、猫が亡くなるたびに財布が膨らんでいく。

分骨用の骨壺を購入してあるから、それらはそこに移そうと思っている。


寂しくないようにファンのお骨は招き猫に囲まれている。
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ペットロスの日々だった。

早いもので9月になった。
ファンが亡くなったせいか、8月はとても長く感じられた。
喪失感が思ったよりも長引いて、ただ、ボヤンと過ごしていた時期が長かった。
ファンのものは片づけられなくて、糖試験紙や使い終わった注射器やたくさん買い占めたファン専用のフード類など、見ているだけで辛かった。
必死に記録していた何枚もの用紙の束も、見れば涙・・という状態だった。
今でも時折涙が出る。

ファンは8月7日に荼毘にした。
その時に、蘭・モコ・ブー・パン・ルンの遺骨をペット霊園に持参した。
昨年から、このペット霊園の共同墓地に埋葬することを考えていて、電話で申し込んでおいたのだが、私のお世話になっているペット霊園の経営者の本業は農業である。
火葬した遺骨は持ち帰ってきても、共同墓地に納めたいと思えばいつでも無料で納めることができるのだ。
ただし、農閑期の対応になる。
農閑期の時期を選んでと思っているうちに、延び延びになってしまい、ファンの荼毘に合わせる形になった。

共同墓地に納めたいと思ったのは、かなり前からで、ただの飾りのように家の中に置いておくよりは、たくさんのペットたちと納まっている方がうちの猫たちは幸せなのではないだろうかと、私の考えがかわったからだ。
分骨も考えて、小さな骨壺も購入して持ってあるが、散々迷ったが結局分骨はしなかった。
ファンの荼毘を待つ間に、蘭たちのお骨を共同墓地に納骨した。
これから仲間になります。よろしくお願いしますという意味を込めて手を合わせてくださいと言われ、お経をあげてもらった。
共同墓地のお骨をいれる蓋を開けられたときに、中をのぞくとたくさんのお骨があり、それを見た時に心から安堵感がわいてきた。
これらのお骨は、私と同じ思いをした、たくさんの飼い主の涙と愛情であふれている。
一時、飼い主を涙の渦に陥らせたとしても、愛して愛された幸せなペット達のお骨である。
この場所にうちの猫たちを納めることができてよかった。


とはいえ、ファンのお骨は持ち帰った。
すぐ、共同墓地に納骨することはできず、もうしばらくは離したくないと思ったのだ。
ペット霊園のご主人も、不公平になるものねと言っていた。
そうなのだ。
ほかの猫たちは長い間私のそばに置いておいたのに、ファンだけすぐに私の手元から離すことはできない。
だから、1周忌のころまで、手元に置くことにした。
ファンとパンは仲が良かったから、パンに、「ファンちゃんは、もう少しママのところにいるからね。待っていてね」と断りを入れてきた。

個別の墓地もあるけれど、震災後、九州に引っ越した人がいて、お墓参りに行きたくても行けないという飼い主さんからの電話があったりしたそうだ。
共同墓地であれば、必ずお参りする人はいるわけだし、花は絶えないし、その日も若いカップルが共同墓地にお参りに来ていた。
山の中のペット霊園だから、かなり交通の便は悪いけれど、それでもお参りに来る人がいる。



ファンちゃん、もう少しママのそばにいてね。

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