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ファンが逝くまで・・・3

家に連れて帰ると、流動食を処方されていたから、シリンジで与えたが計8cc、水は4ccだけしか飲まなかった。
垂れ流しになっている尿のため、頻繁にペットシーツを取り換えた。
点滴がすべて尿となって流れていた。
敷布団はセミダブルだから、私はファンと寝た。
ファンは右側の手と足は、完全に伸びきっていて、左の手足だけを動かしていた。
手は砂を描くようなしぐさで、足は自転車をこぐような感じで・・・。
長い1日が終わった。


翌5日、朝8時40分に病院に着き、一番乗りだった。
すぐ、先生に預けて、病院を出た。
迎えに行くまでの時間、私は何をしていたのか、まったく覚えていない。
食事をしたのかさえも、覚えてなくて記憶が飛んでいる。

夕方5時に迎えに行った。
診察室で、先生に聞かれた。
私がファンを見ていて、つらくなかったかどうかを。
辛いというのは、体ではなく心のことである。
私は大丈夫ですと答えた。
ファンは人間でいうところの植物人間ですと言われた。
それは、私も分かった。
前日までは目も瞬きしていたが、もう瞳孔は開いていた。

「ファンは、死にますよね」
「死にます」
「あと・・どのくらい・・・」
「こういう状態だと、犬だと1週間…猫だと2週間から1か月・・・」という会話をした。
先生が、「お母さん・・・見ているのが辛いのなら、預かるという方法もあるからね。」と言われれたが、大丈夫ですと私は答えた。
先生が「たとえ、何もわからない状態になっているとしても、この仔の目に映るものが、お母さんのほうがいいでしょ」と言った。
私は「はい」と答えた。

こう文字に書くと、淡々と先生と会話していると思われてしまうが、そうではなくて、私は何度も涙をこらえ、ため息をつき、先生の言う言葉ひとつひとつに「はい」を繰り返していた。
先生も、私の心を思いやるように、言葉を選びながら、とても優しい口調で励ましてくれた。

休診日であるのにもかかわらず、隣の市から突然重体の仔を運んできた私を受け入れてくれた先生には、心から感謝している。


夜、ファンを見ながら7時ころから友達と電話で話した。
かなり長い時間話し、その会話の中では笑ったりもした。

そして電話が終わって30分くらいすると、おとなしかったファンの息づかいが荒くなってきた。
あれだけ無意識に動かしていた左の手足はだんだんと動かなくなった。
ハアハアという感覚が短くなってきた。

いよいよお別れの時が来たと思った。
今度は本当にお別れだと思った。
頑張れと言った。
頑張って、上手に向こうの岸にたどりつくようにと祈った。
かなりの時間が過ぎたように思う。
ううっと声をあげ四肢を伸ばして首を伸ばした後、ガクッと首を倒した。

ファンのお腹を見た。
動かなかった。
時計を見ると22時47分だった。
「ファンちゃん、お疲れさまでした」と言った。
その時、涙は不思議と出なかった。
見事な最期だと思った。


お湯でタオルを濡らし、ファンを抱き上げて顔を拭き、尿で気持ち悪かったであろうファンの体を拭いた。
キャットベットの上にペットシーツを敷いてバスタオルを重ねていたけれど、それらを取り換えた。
ファンの顔をなでながら、「ファンちゃん、大好きだよ」と言った。
ファンにいろいろなことを話しかけた。
倒れてから話したこと以上の言葉をたくさん、たくさん。
そして、涙が止まらなくなった。


後で、友達に言われた。
ファンにごめんねと言いたいと言ったら、「なんで謝るの?ファンちゃんは満足して逝ったよ。お母さんの新しいお家も見れたし、動物病院も決まったし、お母さんの笑い声も聞けて、だから安心して逝ったんだよ。」と言ってくれた。
あの時、病院に行くということを思いつかなかったら、ファンはもっと早く逝くことができたかもしれない。
病院に行って、ファンの苦しみの時間を伸ばしただけかもしれない。
だけど、私にはやはり、この2日間は必要だったと思う。



3日間にわたり、長文にお付き合いくださりありがとうございました。


終わり


元気だったころ。
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ファンが逝くまで・・・2

○○○病院に着くと、車は2トントラック1台しか止まっていない。
ドアを開けると、受付に奥さんなのか看護師さんなのかわからなかったが、今日は休診だと言われた。
工事の人が入っているからドアは開けてあると言われた。
それでも、私の必死さが伝わったのか、先生に連絡してくれると言ってもらえた。
先生が対応できるということで、私は心底安堵した。
すぐ先生は来てくれた。

診察室でファンを見ながら、矢継ぎ早の質問に私は答えて、状況を説明した。
インスリンをランタスからプロジンクに変えたことを言うと「新しい薬だね」と言われた。
先生は、糖尿病には合併症があると言った。
その時、私は知識としては持っていた糖尿病の合併症が、猫にも当てはまるとは思っていなかったことを、はじめて気がついた。
夜中に四肢を伸ばしたことが2回あって、それでも心臓は止まらなかったと言ったら、それは痙攣でその時に連れてこれればよかったねと言った。
「夜中ですよ」と私が言うと、夜中でも連絡があれば看ますよと言われた。
そして、すぐに点滴を始めるから5時(17時)に来るようにと言われ、病院を出た。

家に戻ると、私はシャワーを浴び、前の日の夕方から何も食べていないことに気がついた。
友達が送ってくれた冷凍のおやきをチンして1個食べた。


昨年だかミケが私のベットの上に登れなくなっていた。
だから、ベットのマットレスを取り払い、少しでも高さを低くするために体圧分散型敷布団に変えていた。
それは軽かったから、前日ファンが倒れた時に、猫部屋に運びその上にファンを寝かせたのだが、おしっこを漏らしていた。
ファブリーズをバンバンかけてベランダに干し、シーツを洗濯し、そして私は寝た。
3時間きっちり爆睡した。
病院に行くまで時間があったから、猫部屋に掃除機をかけ、ファンがおしっこを漏らしてもいいように、敷布団にペットシーツを敷き詰めてその上にシーツをかけ、万全の準備をしてファンの待つ病院に行った。


病院に行くと、休診日だから誰もいない病院で先生が待っていてくれて、朝連れてきた状態と同じだと言った。
そしてケージの扉を開けてくれた。
顔を近づけて声をかけると、ファンはわたしの鼻を2回、頬を1回なめた。
先生は「もう、お母さんを認識していません」と言った。
だから、「でもいま、私の顔をなめましたよ」と言った。
すると先生は、水の入ったシリンジを渡し、飲ませてみてと言った。
ファンはゴクリと飲み込んだ。
先生が驚いたように「飲んだねえ」と嬉しそうに言った。
それから、診察室に行き、説明を受けた。
たくさんの検査結果が表れた紙を見せて、ひとつひとつ説明してくれた。
血糖値は正常であること。
高血糖でも低血糖でもなく、高血圧であったと思うと。
ランタスが効かなくなっていたころから、その兆候が表れていたのかもしれないと言われた。
用紙の最後の所見の欄には、脳障害と書かれていた。
そして、脳梗塞と診断されたのだ。

私は入院になると思ったが、先生が「うちの重体の仔の10人中8人は、朝病院に連れてきて夕方引き取りにきて、夜はお母さんが看るという方法をとっています」と言われた。
「だってさあ、入院させたってただ見ているだけだよ。それならお母さんのそばにいた方がいいでしょ」と言うのである。
私もその方法をとりますと言った。
先生は、「人間でもこういうぶうになって、3か月ほど入院しても、その後どうするかという介護の問題が起きるでしょ。
家族で看るという決断をしても、それはすごく大変なことなんだよ。
ペットも同じです。介護はすごく大変ですよ。お母さん大丈夫ですか?」と聞かれたので、できると答えた。
「介護は、ものすごく体力も必要です。お母さん、ずいぶん痩せているけど、それも大丈夫ですか?」と言うので、勿論大丈夫ですと答えた。

そして、この方法でファンを看るということが決まった。
お母さんから見て、ファンちゃんが辛そうだとか苦しそうだと見えても、本人はそういう意識はありませんからと言ってくれた。
先生は、夜中に何かあったら携帯の方に電話してくださいと言って、携帯番号の入った名刺を渡してくれた。


短い文にしようとかなり省略したが、それでも長文になってしまったので、続きは明日へ。

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ファンが逝くまで・・・1

どこまでファンが逝くまでの状態を書けるのか・・・意味不明な部分もあるかと思うが、私が忘れないためにも綴っておく。

8月3日。
ファンは海からの風が一番入り涼しい浴室の床にいつもいたから、ファンがその場で倒れているのに気がついたのは16時半ごろだった。
ファンを見ると、グッタリというより、倒れていたという表現がぴったりで、私は悲鳴を上げた。
すぐに体をさすり、口に息を吹き入れ、ファンの心臓が動いていることを確認した。
そんなことをしなくても、ファンの心臓は止まっていなかったと思う。
ただ、死んでいるようにみえたほど、私が慌てたのだ。
ファンはすでに、自力で立ち上がることができなかった。
すぐに2階の猫部屋に運んだ。
シリンジで水を与えても飲み込んだり、垂れ流したり。
それから、私は覚悟を決めてファンを看取る心の準備をした。
ファンは手を握ると手足を動かしていたが、あきらかに命の火が消えていくように思えた。
その前日、トイレの失敗などしたことのなかったファンが、一度だけ初めて脱衣場の床で失禁していた。
それを片づけながら、もう、お別れの日は近いのだなと思ったが、失禁したのはその日は一度だけで、ご飯も普通に食べた、
3日の朝もいつもと変わらなかった。
ただ、倒れているのを見つけた時は、ウンチが2個、浴室にあった。
とてもいいウンチだった、


動かない体にいら立っているかのように、何度も手足を動かしていて、時間だけが過ぎて行った。
夜中の0時半にウオーと声をあげて四肢を伸ばしたから、それで逝くのかと思ったら心臓が止まっていない。
それから30分後にもう一度同じ状態になったが、やはり心臓は止まらない。
ファンは横たわったまま、こまめに手足だけは動かす。

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これは8月4日の朝6時ごろ、招き猫のポーズのようなしぐさを繰り返した時の画像。
まだ両手は動いている。
私はずっと泣きながら、ファンにお別れの言葉を繰り返していた。
「ありがとう」とか「大好きだよ」とかの言葉を。
だけどファンの心臓は止まらない。

完全徹夜になったがずっとファンのそばにいた。
ルンの時の後悔ががあるから、私は息を引き取る瞬間にファンのそばにいたいと思ったのだ。
おなかはまったく空かず、眠くもならなかった。
朝9時ころ、完全徹夜のせいなのか、思考力がおかしくなったのか、私は「ファンはまだ死にたくないのだ」と思った。
そうして、ファンちゃん、病院に行こう!と言った。

前に書いたが17時に閉院してしまう病院は家から車で5分ほどで、前にその場所は確認してあった。
夫婦で獣医師だ。
電話を入れると、奥さんが亡くなったばかりで(と言っても亡くなったのは去年の9月)、重体の仔は見ることができないと断られた。
入院もさせられないと言われたので、入院はさせないと言った。
粘ってとにかくみてほしいと言ったら、連れてきていいということになった。
病院に行って先生に会うと、これは無理だと思った。
70代くらいだろうか。
奥さんを亡くされたせいなのか、覇気がなく悲しみの中で暮らしているように見受けられた。
でも、話す言葉に優しさが感じられた。


先生はファンをみて、自分では手に負えないと分かったのだろう。
それでも徹夜と涙で、目が真っ赤になっている私を突き放すこともできなかったのだと思う。
○○○動物病院に行きなさいと言ってくれて、地図を書いてくれた。
それは隣の市にある病院だった。
ここから20分くらいで着くからと言われた。
▲▲▲病院の先生(ランタス以外にインスリンは知らないと言っていた先生)より、はるかにいい先生だからと言われ、私はそこに向かった。

長くなるので続きは明日に。







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ファン・・・脳梗塞で逝く


今日が何日なのか・・ちょっと分からないくらい、慌ただしく過ごしていた。



ファンは、8月5日・・昨晩の22時47分、永眠いたしました。



引っ越し先での動物病院が決まらないという私の唯一の悩みを、残された猫たちのためにも私のためにも、ファン自らが見つけて解決してくれて、逝きました。

ファンは素晴らしい私の仔です。


ファンは明日、前に住んでいた町のペット霊園で火葬にいたします。


今は涙でここまで書くのがやっとの状態です。


経過は後日アップいたします。


ご心配していただいた、ネット友達の皆さま、ありがとうございました。



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