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「What's Michael?」

断捨離しなきゃと思いながら、なかなかできない。
不用品が多すぎる・・・・少しずつ片付けようと思いながら、始めると「ホワッツ マイケル?」に目がいき、読み始めたら止まらない。
何度も読んでいるのに、全く飽きない。
漫画だけれど。

この本はソフィアを飼いはじめ頃、全8巻古本屋で偶然見つけて買ったもの。
その時まで、このヒット作品を知らなかった。
1巻目を見ると、1985年発行だ。
なんと!28年前の本。
文庫本になっているのは知っていたが、書店で見かけたことがない。
カンを保護をして初めて今の動物病院に連れて行ったときに、先生に「マイケルなんですよ」と言ったら、「本当にマイケルだね」と言ったのだ。
マイケルと言って、それが茶トラを意味していることが通じたので、さすが獣医さん!と思って嬉しかったのをよく覚えている。
この漫画本は、息子も夢中になってわざわざ全巻揃えたほど。
私と息子とそれぞれ保有している唯一の漫画本。

その何年か後にA4サイズのフルカラーの『What's Michael?』9巻目?」が出版された。
この時は、出版社に電話して、いつ発売になるのかを問い合わせたほどだ。
その本のオマケに付いてきたマイケルの小さな人形は、ビニールの袋から出さずに大切にしていた。
今回写真を撮るために初めて袋から出したが、再び袋にしまった。
漫画のマイケルに、似てないのが残念だけれど、ヤフオクに出品したら売れるんじゃないかな。(笑)
漫画本なのに、思い出があったりするから、断捨離は進むはずがない。
結局、ベットの上で寝ころびながら全巻読んでしまった。
何やってんだか~わたし。
でも、落ち込んだ時などには、私みたいな単純な人間はこの漫画本を読むのが一番いいのかもしれない。
何しろ笑えるから。
何度読んでも同じところで笑ってしまう。
だけどそのたびに新鮮。
不思議だ。

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| 動物関係の本 | 21:40 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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チビは可愛い女の子

チビとは家の中でも顔を合わせることが少ない。
朝夕のご飯の時くらいか・・・。
寒くなると、私の部屋には暖房が入るので猫たちは集まってくるが、チビはそれでもめったに私の部屋にはいない。
存在感がないのだ。
さっき、ベットの上にチビがいた。
「チビちゃん、珍しいね~いたの~」と言って、チビを見たときに、ふと思った。
あれ?チビって男の子だったか?女の子だったか?・・・と。
一瞬分からなくなって、考えてしまった。
ん?あらら?どっち?はて?なぜわからないのだ?
・・・・・その一瞬でも考えてしまったということに、驚愕。

((( ;゜д゜)))アワワワワ

ボケたか?私。

友達に旦那さんが亡くなってから、朝、仏壇の前で般若心経を唱える人がいる。
般若心経は無教養な私には興味がないのだが、彼女には心の安定になるというので、何年も日課にしている。
ところが、いつものように唱えていたら、途中でつまった。
気を取り直して、2回目に最初から挑戦。
やはり同じところで言葉が出てこない。
3回目でやっと出てきた。
それが、相当ショックだったらしく、自分は認知症になるかもしれないと落ち込んで電話が来た。
そんなの、ただの度忘れでしょ。気にすることないと私は軽く言った。

チビがオスかメスかと一瞬頭が空白になってすぐメスだと思い出したが、その友達もこういうふうに自分で自分に驚愕したのだと、思い至った。
私も危ない。
なぜなら、ネット友達さんのブログを読んで、飼い猫が発情して大変だったという記事に、私もチビが発情期を迎えたときは、庭にオス猫が集まって一睡もできなかったとコメントを書き込んだばかりなのだ。
そういうことを、書いてまだ10日くらいしか過ぎていない。
それなのにチビがオスかメスか、一瞬迷うなんて、自分で自分にぞっとした。
マジでこれは危ないかも。
認知症予備軍?
あ~あ。

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| | 21:24 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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96歳の女性に魅了されて・・3.

前回の続きです。

96歳の母親と息子は同居を始めて2ヶ月が過ぎた。
順調に仲良く暮らしている。
同居が決まった時に、彼の姉である娘たちが集まって、「今度来るときは、死んだ時だからね」と明るく母親に言った。
普通、こういうことを言われたら、寂しくて泣くのだろうか?
薄情な娘たちだと怒るのだろうか?
キツーイ冗談だと笑うのだろうか?
このお母さんはこう答えた。
「香典は5万でいいからな」
こういうところが並の96歳でないところ。
そして、母親のいないところで、彼は姉たちに言った。
「香典は母親の言う通り5万包めよ。その代り葬式が終わったら、全額返すから」
姉弟の密約は成立。

話がそれるが、香典でもめることは多い。
私は母親を同居介護したが、亡くなった時に私が喪主を務めた。
金を出さないのだから、口も出すなよということで。
兄の妻が、「私たちは、何もお手伝いできなかったのだから、こういうことでしか(香典を多く包むこと)お返しできないわ」と言った。
しかし、いざ、蓋をあけてみたら、「えっ?これだけ?」(笑)
もちろん、それでいいのだが、最初から期待はしてないから文句も言わない。
私の友達で母親が亡くなった時に、喪主は建前上お兄さんだったが仕切ったのが母親の姉である伯母さんだった。
その時に、伯母さんに「あんたは母親に心配かけたから(離婚したことを言っているのだが)20万円包むように」と言われて、その通りにした。
4人兄弟だったが、兄弟によって包む金額が違う。
仕切り役の伯母さんの言う通りの金額になったから。
だけど葬儀は密葬だったのだ。
これは稀なケースだろうか?
香典って、結構難しいのだ。
その点、このお母さんは偉い。
自分の葬式の香典の額を、子供たちに自分で提示したのだから。

またまた話がそれるが俵萌子のエッセイに、入院していた母親が退院したので実家に見舞いに行くと、母親と同居している弟の妻に、母親が遠慮したり媚びている姿を見て、たまらなくなって「お母さん、堂々と病んでください」と涙ながらに訴えるという文章があった。
私の記憶違いでなければ、そういう内容だったはずだ。
介護される側とする側の関係は、嫁と姑に関わらず実の親子でも微妙な立ち位置になる。
それが普通なのかもしれないし、そういう人は多い。
だけど、この96歳のお母さんは気丈だ。
母親の威厳は保っている。
誰にも迷惑をかけず、年老いて一人で暮らしてきた長さの分だけの強さがある。

同居した時に、彼女は息子に言った。
「朝、起きたときに、あるいは仕事から帰って来たときに、自分は死んでいるかもしれないが、びっくりしないように」と。
そして、自宅から持ってきてもらいたいものがある、と言って、息子が取りに行った。
彼女が自分で縫った死装束と足袋である。
いつ準備したのかは知らないが、きちんと用意していた。

現在、朝と夜の食事は彼が用意して、昼間だけヘルパーさんを頼んでいる。
デイケアセンターに週2回くらい行かせたいと彼は考えているが、長い間静かな山の中で暮らしていた母親は、そういうところは嫌いだと拒否している。
お前の家の庭を見るのも飽きたと言っているから、自分の家に帰りたいのだろうと彼は言った。
腰の痛みは治まらないから、そう思っていても口には出さない。
もう、無理なのだと自分で分かっているのだと思うから、私は言った。
「私だったら、たぶんこう言う。自分の方が母親と二人で暮らすことを幸せだと思っている。親孝行ができるこういう機会をありがたく思っている。
だから、仲良くここで暮らそう」と。
実際、彼はそう言った。
こうなってみれば、彼の妻には申し訳ないが、嫁姑問題もないからこそ長い年月を経て、また親子の暮らしになったともいえるのだけれど。

お母さんが住んでいた山の中の家は、借りたい人がいれば貸せばいいというので、親類の人が借りることになった。
先日、家の整理のために、母親を連れて、実家に行った。
必要なものは最小限だったらしく、運び出した後にお母さんは言った。
想い出の品もたくさん残されていただろうが「あとは全部、捨てていい」と。
お母さんも腹をくくったのか、いさぎよい。
最小限の荷物の中に、化粧品の入ったポーチがあった。
90過ぎまで化粧をしていたから、それは捨てられなかったらしい。
「美人だ、美人だと言われた○○さん(自分の名前)も、こうなっちゃぁおしまいだねえ」とお母さんが言ったと。


私は親の介護をしていた時に、そのことを周りの人には言ってなかった。
親友にのみ話していたが。
だから母が亡くなってお葬式の時に初めてそれを周りが知って、本当に驚かれた。
私の性格やら外見からはとても親の介護という問題は、一番遠いように周りには見えたのだろう。
彼から、親の介護の経験者に聞くのが一番いいと思って、(私でもできたのだから、自分でもできるだろうというのが本音だと思うが)私に相談したそうだが、感謝されてお礼を言われた。
私が役に立ったとは思えないが、年上で仕事上でもお世話になっているのに、失礼を承知で発破をかけるようなきつい言い方をしたり、最初は敬語だったが途中からタメ口にもなったけど、彼にとってはそういう言い方のほうが良かったようだ。
大変だねえ・・と同情を求めていたわけではないのだから。
私もお礼を言った。
楽しい話をたくさん聞けた。
知らない世界を知った。
魅力的な人に学ばせてもらった。
私の母も病気じゃなかったら、違う介護の仕方があったかもしれないと思い、切なくもなった。
いろいろな意味で勉強になった。
感謝をしているのは私のほうだ。
お母さんのことは主治医に「老衰が始まっている」と言われているが、今の世の中、老衰で死ねるなんて羨ましいくらいだと私は言った。
相変わらず夜中に起きて、もそもそ菓子パンを食べたりしているそうだが、昔話をたくさんしてくれて、楽しく仲良く暮らしている。

このお母さんと彼との暮らしも、聞けば聞くほど本当に面白くて書こうと思えばいくらでも書けるが、キリがないので今回で終わります。
長文な上、意味不明なところも多かったでしょうが、お付き合いくださいましてありがとうございました。

| ひとりごと | 21:24 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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96歳の女性に魅了されて・・2。

前回の続きです。

その知り合いのお母さんが、一人暮らしを始めたのが、82歳の時。
82歳でご主人を亡くした。
4人の子供たちは、それぞれに事情がある。
そもそも子供たちは母親と一緒に暮らした時間の何倍もを、自分の家族と過ごしている。
息子の奥さんは、その時は健在だったが、嫁と姑の関係が最悪で本当に仲が悪かったらしい。
他の娘たちは他県に嫁いでいるし、お母さんんは、82歳で一人暮らし宣言。
ご主人が生きていた時は、米も作っていたらしいが、米つくりは止めて、自分が食べるくらいの野菜だけを作ることにした。
96才になるまでの14年間を一人暮らしをしていたわけだ。
なにしろ山の中。
食料品や日用品はどうするのか・・・というと、移動販売のトラックが週2回来るそうである。
その時ないもので、ほしいものがあれば、頼めば次回持ってきてくれる。
これはいい。
よくニュースなどで、バスが廃線になりお年寄りが買い物に苦労しているなどということを知るが、これはいい商売だと思う。
採算がとれるかどうかは別として。
隣が見えない場所ではあるが、しょっちゅう、人が集まってお茶のみしていたというから、集落内での結束は固いのだと思う。
実際、隣の人に、もし母親の寝室のカーテンが日中開いてなかったら、すぐ電話をくれるようにと彼は頼んでいた。
私は、そういう暮らし・・というか、同じ市内にそういうところがあるということが、認識不足というか世間知らずというか、心底ビックリしてそれ以上に興味がわいて、いろいろ質問ぜめにした。、
トイレは汲み取り。水は井戸かと思っていたら川から引いている。
大きなタンクの貯水槽があり、三層の砂通しをして塩素消毒をして、近辺のいくつかに分かれている集落、100軒くらいがそこから水を引いている。
月に一度保健所の検査も受け、放射能の心配もないきれいな水だそうだ。
タンク内の掃除も当番制で集落ずつで交代で行う。
なまゴミは裏庭にほおり投げておけば、タヌキやキツネがきれいに食べて行ってくれる。
今は息子である彼のところで暮らしているが、サツマイモができているころだから掘るように頼まれて出かけたら、網が破られてイノシシに食い荒らされて全滅していたそうだ。
だからといって、悔しがるわけでもない。
お母さんに言わせれば、動物のほうが先に住んでいた山だ・・ということになる。
それで、生計を立てているわけではないから、そういう考えもできるのだと思うが、そういうことにこだわらないおおらかさ、太っ腹なところが、年老いて一人暮らしを成功させた一つの要因であることも確かなような気がする。
お母さんは菓子パンが大好きだそうだ。お腹がすくとよく食べるらしい。
もちろん野菜を作っていたから、野菜も食べていただろうが、例えば1日何品目をとか、健康のために運動をとか、長生きするためにはこれもあれも・・・というようなそういう教えられて知るというような方法からは、かけ離れている。
好きな時間に起き、好きな時間に寝て、好きなものを食べ、畑で野菜を作り、集落の人たちともめ事もなく、本当の悠悠自適を実践していたのだと思う。
だから、夜中にカップ麺を食べるなんてこともできるのだ。96歳で。
そしてたぶん元来、丈夫な体を持っているのだと思う。
ご主人のほうが病弱で、その代わりに若い時から働きに出ていたそうだ。
彼女に持病がないわけではない。
狭心症の持病がある。
だから、冬は一人でお風呂に入らないようにと主治医に言われている。
一人暮らしをしていた時は、体を拭くだけで、冬はお風呂に入らない。
きちんと守るべきところは守っている。
今回、運悪く転んでケガをしてしまったが、それがなければまだ一人暮らしを続けていたのだ。
3,11の時は、家が壊れるかと思って裏山に逃げたと言っていたそうだが、腰を抜かして~なんてことがなくて、その行動力には驚いた。


今回、たくさんの人がお見舞いに来てくれたそうだ。
見舞客に「オラは、この病気で死ぬんだ」と言ったそうだが、、彼は笑いながら母親に言ったと。
「オフクロ、それは違う。オフクロは病気じゃないんだから~。ただのケガなんだよ~。死なないって!」
お母さんはすまして「そうか?」と言ったそうだけれど。


次回に続く。
私が飽きないので(笑)

| ひとりごと | 23:14 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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96歳の女性に魅了されて・・。

2ヶ月ほど前、仕事上での知り合いで、仲良くしている人から相談を受けた。
彼は67歳。60歳の時に奥さんを亡くしている。
一人娘は嫁ぎ一人暮らしをしている。
54歳の母子家庭の独身の彼女がいる。
・・・・・・と、受けた相談は、彼女のことではなくて、母親のこと。
96歳で一人暮らしをしていた母親が、6月に転んで自宅の焼却炉に体をぶつけ背中の骨が2本潰れてしまった。
3ヶ月ほどで治ると病院には言われて、1か月入院。
その後、75歳、73歳 、70歳と上3人の姉たちが、母親の家に交代で泊まり込んで、母親の看病をしていた。
他県で暮らしている姉たちの看病期間も終わり、さて、母親をどうするか・・・ということの話だった。
それは地元にいる彼が、母親のいる実家に戻るか、あるいは自宅に呼ぶか・・・。
どちらにしても、自分で母親を看るということは決まっていた。
96才という年齢を考えると、当然施設へとか考えるのだろうが、そういう考えは初めからない。
なにしろ、母親は元気だ。
頭もボケていない。
転んでケガをするまでは、畑仕事も普通にしていた。
実家に戻って、母親と暮らすという選択が一番いいように思えたが、その実家の場所というのが、彼に言わせるととんでもない山の中。
山と山の間、つまり谷間の1軒家。
集落は8軒ほど。
自分の家から隣の家は見えず、隣に行くには一山越えなければならないそうだ。
とはいっても、歩いて5分くらいらしいのだが。
彼は現役で仕事をしている。
職場までの距離を思えば、とても通えない。
じゃあ・・・自宅に呼ぶしかない・・・・。
相談の結論は出ているのだが、自分が母親の面倒を看ることに、相当不安があった。
何しろ奥さんを亡くしてから、食事の支度をしたことがない。
朝食はパンで昼食は外食、夕飯はスーパーの出来合いの惣菜に晩酌。
彼女が週に1回くらい、自宅に来てご飯を作ってくれるらしい。
その彼女は結婚を望んでいる。が、彼は食べさせていけないからという理由で拒んでいる。
だから、彼女を頼ることはできない。
その辺のことは、私にはどうでもいい話で興味がないが、「面倒を看れるかどうかなんて、看るしかないんだから、そんなこと心配してもしょうがないんじゃないの」と私は経験上もふまえて答えた。
そもそも、その年で母親が元気で生きているんだから、それはありがたい話で、楽しく仲良く暮らせばいいんだと思うと私は言った。


このお母さんの話が、聞けば聞くほど面白くて、私はすっかり魅了された。
その後何度もお母さんの話を聞かされたから、これから、何回かに分けて、このお母さんの話を書いていく。
長生きするヒントがみつかるかもしれない・・・なんてことではなくて、一人の女性として魅力のある人なので。


70歳の娘が看病のため、実家に泊まり込んでいた時の話。
娘は母親のベットの下に布団を敷いて寝ていた。
朝、起きるとカップ麺の空の容器が枕元に置いてあった。
母親は腰の痛みで、その頃は横になっている時間が多かったが、足は痛みをこらえれば歩ける。
夜中に96歳の母親が起きて、カップ麺を作って自分のベットで食べたのを、娘は爆睡していて気が付かなかったのだ・・。
で、娘はその空容器を見つけて、ブチ切れた。
「こんなものを、夜中に食べてぇ~!!!何考えているの~!!!」
そのあとに続く言葉が、体を壊したらどうするのぉ~!!とか、消化が悪くて胃を壊すでしょ~!!とかではなくて、
「転んで、私の頭にカップ麺の汁がかかったら、どうするつもりだったのよぉ~!!」
・・・・・・・・・・・


私は、こういう話が好きである。

次回もこのお母さんの話を。
乞うご期待!(笑)

| ひとりごと | 22:35 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ブログ再開。

いやはや、何ということでしょう。
11月に入ってしまいました。
今年も残り2ヶ月。
7月にブログを休んでから、3ヶ月以上が過ぎてしまった。


その間、私を苦しめた問題は何も解決してなくて、事態は前よりもひどくなっており、さらに他のことで頭を痛める問題も増えて、あまりの精神的な苦痛からブログは止めようとも思ったのだが、ネット友達さんからいい方法を教えてもらった。
感情を言葉にすることで心が穏やかになるということを。
UPできない内容であっても書いているうちに感情が抑えられることもあるらしいし、このブログには下書き機能というものがあるので、書いてもUPしなければ、まあ、前回のような失敗はしないだろうと思い、それを利用することにしたのだ。

ブログを休んでいる間、突然PCが壊れた。
修理代が、新しいPCに買い替える金額と大きな差がなかったので、Windows8を購入した。
私はブログを見るのと、検索ができればそれでいいのだから、PCを使いこなして何かするなんて能力はない。
だから最低の機能あればいいのだ。
で結局、大型家電店を3店舗見て歩いて2店では69,800円だった商品が、1店だけが同じ商品で59,800円だったので、そこで決めた。
Windows8.1が搭載され、秋冬バージョンの商品が発売された後の、型落ち夏モデル。
PCはこれで4台目。考えてみれば、平均で5年持たなかったということになる。
お店の人も、だいたい5,6年がPCの寿命と言っていたから、それならなおさら高価な商品はいらない。
ところが、前に使っていたソフトをインストールして、開こうとしたら、「このソフトはWindows8には対応しておりません」ということで、ソフトも2本買う羽目になった。
これが予定外だった。
Windows8の悪評判は聞いていたから、Windows7でよかったのだったが、すでにお店には性能のいい高価な商品か、現品限りなんてものばかりで、諦めて8にしたのだが、壊れるのならもっと早く壊れてほしかった。
私は光なのだが、前のPCは光回線の良さがさっぱりわからなかったが、PCを変えたら速い。
それを思えば壊れる前兆は出ていたのかもしれない。

ブログを休んでいた間、広告をペタペタ貼られて、うっとうしいので、工事中ということで閲覧を閉鎖した。
再開するにあたり、右の猫たちの写真を現在の顔写真にした。
前にリンクしていた「虹の橋」の寓話も復活させた。
Windows8は、いつまでたってもPC初心者の私には手ごわい。
ちょこちょこ遊びながら、慣れていこう。

過去記事は全て下書きに入れた。
私自身は気に入ったブログをみつければ、過去記事全部読まなければ気が済まないのだけれど、私の過去記事は面白くないので。
UPせず下書きにいれていた中で、、猫関連の記事があったので、UPします。
古くからこのブログを読んでいた方には、またかよ~と思う内容の記事でしょうが、お時間がありましたらどうぞ。




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